海外から日本の大学入試を考える

taking an exam
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人生で一発勝負に強いのも大事では?

Southeast地区のACSM年会参加

私事ですが今週は学会の準備と参加に追われてしまい、ブログ更新が滞ってしまいました。発表は一緒にやっている大学院生が行うだけでしたが、初めてだったこともあり、色々なことが起きて最後までバタバタしました。自分が学生のときもこんなものだったかも知れませんが、学生さんは今回のことから何か教訓を得て欲しいと願うばかりです。

一方で学会中にいくつか開かれたシンポジウムの1つで座長(と書くと大袈裟にきこえますが、司会です、しかも地方学会)を頼まれて、やってきました。学会側から「開始前にはまずこのアナウンスをしてくれ」とか「こういうことをやってくれ」とか指示がくるので、基本それ通りにやればいいだけなんです。もっとも話を弾ませるために、発表者の略歴や研究内容を前もって調べ、発表後場内から質問がない場合には自分から質問する、といった対応も求められます。それでも「座長」というタイトルの割に作業はたいしたことないですね。

ただ今回、現在の所属や研究内容では想像できなかったのですが、発表者の一人が私のことを知っていました。聞けば私が博士課程にいた時、彼は学部と修士課程の学生で同じ大学の同じ学科に所属していたそうです。もしかしたら私、GAで彼が取ったクラスを教えていたかも。それで「It’s nice seeing you again.」という挨拶になったのか、と納得しました。すみません、僕は貴方を覚えていませんでした。でもこれからは宜しくお願いします。

推薦入試、AO入試増加への危惧

今週は上の理由で英語ニュースそのものを追えなかったので、安易ながら日本語ニュースから私見を書き残そうと思います。元ニュースはこちらです。

早慶上智も半数近くは推薦入学、年明けの一般選抜枠は減少の一途

前提

まずご存じない方に伝えておくとアメリカで大学の一般入試はなく、日本語で言うAO入試が全てです。学力を測る試験としてはACTやSATという標準試験がありますが、お金を払うことで何度も受験が出来、各科目一番いい点を大学側は評価の対象としてくれます。あとは自分がどんなことをやってきたアピールするレジュメや、なぜそこの大学を志望するかエッセイを書き、自分を評価してくれる人に推薦状をお願いして(通常3通ぐらい)出願します。

ただし私は学部生の合否に関わる過程に全く関与していないので、以下の話は自分が見聞した感覚的なもの、とご理解下さい。あと私自身の話をざっくり話をしておくと、日本で中学まで受験なしで公立、高校、大学、大学院は一般受験しました。ただ残念ながら高校、大学と第一志望に合格できず、受験結果に関して不満がない、といえば嘘になりますが、「次が大事」とあえて前向きに考え現在に至っています。

推薦・AO入試の良し悪し

米大学で一般入試はないですし、日本で教員をした経験がないので、どちらの過程を経た学生がいいかは「わかりません」。学校側の考えが少しわかる立場になったので、質のいい生徒を早くから確保したい、という意向は分かります。特に付属を持つ私立大学は長いこと同じ系列でいることで学生のロイヤルティーみたいなのを形成出来ますし、多くの寄付金を期待出来ます。推薦やAO入試上がりも恐らくその大学の志望順位は限りなく高いでしょうから、入学後の在学満足度も高く推移するのではと想像します。簡潔に言えば、私立大学に限れば推薦やAO入試はある程度「あり」かな、と思っています。

国立大学は?というと、地方大学なら致し方ないのかも知れません。ただ研究大学である旧帝大などでは増えるのは個人的にどうなの?と思います。

例えば以下のような記事を見かけました。

成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明

私学でもないのに「大学生活における学習の重要度」「大学で学んだことの総合満足度」などの項目で評価しAO入試を推進するのは、研究大学でどうなの?と思いますが。GPAより独り立ちできる研究者を育てるのが使命ではないんですかね。

あくまでも私見ですが、自分の経験を照らし合わせるとGPA4.0とかいう子は「つまらない」です。特にアメリカだとプロフェッショナル・スクールを目指す子。皆、とは言いませんが、勉強はそつなくしますが点数を取ること、もしくは成績を維持することに興味があり、一つのことを掘り下げることにはえてして得意ではないです。実験で言うと細かく指示を出すとこなしてくれますが、ざっくりとテーマを与え「少し時間かかってもいいから、自分で調べながらやってみて」と言うと非常に戸惑いを見せ「出来ない」と言われたことが少なからずあります。自分が後者のような指示を好むからかも知れませんが、研究をやっていくのなら少しぐらムラがあっても一点突破型、興味湧いたら時間を忘れて没頭、ぐらいが爆発力あって向いていると思いますけど。世間からは「出来る子ちゃん」というより「変人」と言われますが、むしろそれを「光栄です」と受け流せるぐらいの余裕がある人がいいです。もっともラボ運営には「出来る子ちゃん」と「変人」両方がいてくれると、一番良く回るの事実です。

また研究者にならなくても、ここ一番で勝てる精神的強さは、会社や長い人生でも重要かと思いますけどね。会社の人事って採用にあたり実際はどんな人材を求めているんでしょうか?この辺りは日本での社会人経験が4年弱しかないので、私は良くわかりません。

まぁちょっと上に書いたこと、三流大学教員が何か言っているな、ぐらいに受け止めて下さい。日本の一流大学の入試制度を外から危惧してるだけです。ましてや親ではないので、親からの視点も欠けています。ご了承下さい。

今日の話のまとめ

アメリカの場合、ちょっと矛盾するようですがアイビーリーグなどへの入学はかなり早い段階からカウンセラーをつけ(高い私立には常駐しているが公立にはほぼいない)、学業だけでなくイヤらしいほど課外活動などを加えてレジュメを作り上げ、さらに合格に導く推薦状をもらうために親がお金をかける必要があります。私立大学は入学後(親)、卒業後(本人)寄付が出来そうかが重要な合格要素です。日本が受験制度で同じ道を辿るのなら、小学校や中学校で有名私立に入れるだけでなく、AO入試対策を指南出来るカウンセラーを雇い、習いごとなどをさせられるだけの資金力が一流大学に入る上で必要になるでしょう。それだったらまだ一発勝負の入試の方が公平な気がします。

またアメリカの一般大学はAO入試でざっくりと大学入学を許可しますが、いい大学に行けば行くほど入学後ふるいにかけられるので卒業することに意義が出ます。日本の場合、大学入試までは間違いなく世界でも競争的であると思いますが、話を聞く限り大学卒業に他の国ほど大変さが伴っているとは思えません。私の想像が過去のものであることを強く期待しますが、本当に十分厳しくなっているのでしょうか?

結論、私見ですが推薦やAO入試の比率を増やすことに対し強く懸念を抱きます。リベラルアーツの大学なら何でもいいですが、一流と言われる研究大学なら本質的ではないのでは?

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