高橋ユキヒロさんを通じて知ったYMO
先日ドラマー(シンガーソングライターとか音楽プロデューサーでもありますが、私の中ではこの職業)の高橋ユキヒロさんが亡くなられた、というニュースがありました。70歳でお若いのに、と思いましたが病に伏したそうです。心からご冥福をお祈りします。
実は私の場合、サディスティックミカバンドもYMOも現役で聞いたわけではありません。YMOを初めて現在進行形で聞いたのは散開コンサート(確か最後に武道館で行ったものでNHKーFMで中継したはず)でした。(注:この頃は東京でもNHK-FMとTokyo-FMしかFM局はなかった。)この時小学生で「すごいバンドが解散する」「これから生では聞けなくなるかも」というのでラジオを聞きましたが、正直最初の感想は歌がなくて「そんなにすごいの?」という感じでした。聞きなれないメロディーに電子の音というのも慣れていなかったからだと思います。
それからちょっとした後、当時習っていたエレクトーンで「ライディーン」が課題曲の一つになり、弾くことになりました。もちろん易しい級用にアレンジされたものですが、弾き始めたときの感想は「なんだこりゃ」でした。今まで弾いていた歌謡曲とは曲の作りが違えば、メロディーもコード進行も全く異なるものでした。これが私にとって直接のYMOとの出会いでもあり、その曲を作曲した高橋ユキヒロさんの名前を覚えた時でした。因みにこの曲は30年以上経った今でも覚えていて自分で弾くことが出来ます。
昔だったので貸しレコード屋さんに行ってレコードをレンタルし、アナログテープに録音して(古いです!)聞きました。アナログテープも普通の「ノーマル」ではなく奮発して高い「ハイポジ(もしくはメタル)」を買って録音した記憶があります。因みにご存じない方に説明しておくと後者の方が価格は高いのですが、音がいい、とされていました。そのテープはそれこそ「擦り切れるぐらい」何度も聞きました。(注:アナログテープは本当に聞けば聞くほどテープが物理的にダメージを負って音が劣化します。)最初は戸惑っても聞けば聞くほど深みに始まる曲で、他のYMOの曲も聞くようになりました。
ドラマーとしての高橋ユキヒロさんが好きになったのは、音ではなく映像を見た時です。当時ドラムの音に残韻がなくタイトだなと思って聞いていたのですが、リムショットを多用している映像を見て納得した記憶があります。彼自身の服装もしゃれていて、音もドライで都会的だな、と思っていました。ドラマーの誰もがそうだとは思いますが、彼のリズムは音が短い分ごまかし出来ず、特に正確だなと感じます。
高橋ユキヒロさんが発掘した音楽家の中で、高野寛さんという方がいます。私が確か大学生の時にソロデビューされたミュージシャンですが、彼の曲も洒落ていました。彼の声も甘かったですが、ビジュアル的もカッコよく、格好がいい人が別な恰好のいい人を連れてきた、という感じでした。ただなぜか高野寛さんの曲は「虹の都」と「ベステンダンク」しか知りません。歌手として急に表舞台から消えた感じだったのですが、何かあったんでしょうか。
その後、Youtubeが出来、昔のコンサート映像なども見ることが出来るようになりました。むしろここ10年の方がいろいろとYMOやサディスティックミカバンドの曲を聴いている気がします。電子音には古さを感じますが、音楽自体は全く古臭くなく新鮮です。機材を見れば分かりますが40年以上も前にあの曲想とサウンドは素人が聴いても先進的で未来を感じさせます。個人的に一番好きな曲はいまだに「テクノポリス」で、現代風に音を作り変えてもいいから東京オリンピックで使って欲しかったです。おぢさんの戯言で申し訳ないですが、「東京」という雰囲気に相応しいのは自分にとって今でもこの曲以外思いつきません。
高橋ユキヒロさんはお年を召してもダンディーで恰好が良く渋いドラマーでした。彼による生の演奏がもう聴けなくなるのは本当に残念です。改めてご冥福をお祈り申し上げます。彼が亡くなったニュースが出て数日経ちましたが、今晩もYMOの曲を聴いて就寝することにします。
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