サンタフェ市外の観光ガイド:奇跡の砂、ホワイトロック渓谷、ラクダの岩
サンタフェ滞在中、1日は車で郊外に出かけました。今回行って分かったことは郊外にもたくさん見どころがあること。どの季節に訪問しても2日程度の滞在ではとても回りきれません。
サントワリオ・デ・チマヨ教会(El Santuario de Chimayo)
チマヨ(Chimayo)と総称されるサンタ・クルス渓谷にある集落の1つにエル・ポトレロ(El Potrero)という小さな村があり、その真ん中に古くからある教会で奇跡の砂がもらえる、というので訪れました。El Santuario de Chimayo(15 Santuario Dr, Chimayo, NM 87522)というカトリックの教会です。
歴史
National Park Serviceが提供するHPによると、ここは1813年の建設以前から礼拝所として使われたそう。プエブロ・インディアンが12世紀からチマヨ地域に住んでいたが、スペイン人はニューメキシコに到着し征服、原住民をキリスト教に改宗させることにした。これがカトリック教会とアメリカン・インディアンとの間の大きな軋轢を作った。1680年にプエブロ・インディアンが反乱を起こし、スペインがにこの地域に関与することを一時的に終わらせた。
1693年ディエゴ・デ・バルガス(Diego de Vargas)率いるスペイン軍がニューメキシコに戻り、この地域の支配権を取り戻した。ヒスパニック系の家族はサンタ・クルス川沿いと、後に教会の場所になるエル・ポトレロ村に分散して移住した。1805年までにここで「エスキプラスの聖なる神」として知られるグアテマラの奇跡的な十字架にかけられたキリスト像への信仰が広まった。
エスキプラスの聖なる神の信仰ではこの大地が病気を治す効果があるとし、エル・ポトレロの人々はエスキプラスの主の出現に関する一連の伝説をチマヨ地域で代々伝えた。その最たるものは1810年の聖週間の聖金曜日の夜、チマヨのサンタ・クルス川近くの丘の一つから光が放たれていて、その場所で土を掘ると十字架が見つかったというもの。この現象はすぐにエスキプラスの聖なる主によるものとされたそうです。司祭がこの十字架をサンタ・クルスの教会に運んでも、消えては元の場所で見つかったことも現象の神格化に拍車をかけた模様。
1813年、奇跡的な十字架や癒しの力を持つ大地があると人々が信じられる場所にエスキプラスの聖主に捧げる礼拝堂を建てる嘆願があり教会を建立。その後祠の下に溢れる奇跡の土や砂を皮膚に塗ると病気や怪我が奇跡的に治ることが多く報告されたため、訪問が増大。必要に応じて1816年現存するより大きな礼拝堂に建て替えたとのことです。
行き方
サンタフェ市内からUS-84 W/US Hwy 285 N というハイウェイに乗って北に向かい、NM-503/High Rdが見えたらTaos/Nambe Rd方面(右折)に向かいました。
途中までは田舎道でこんな所通るの?と思いましたが、それを抜けると上の画像のようにきれいな山間が広がります。風景を楽しみながらしばらく走ると、High Rd to Taos/Juan Medina Rdという標識が現れるのでこれを左折。ここから数分走ればSantuario Drがあり、その道に入るために右斜め前に進むと教会に着きます。駐車場は教会前だけでなく奥にも大きな所がありました。
奇跡の砂(Holy dirt)のもらい方
残念ながら教会の建物は外からのみ撮影可能です。入って右手にギフトショップがありました。砂及び祝福された水を入れる容器が欲しければ、こちらで購入可です。私は普通にジップロックの袋を持参しました。
奇跡の砂は教会の建物から見て左手、小さな部屋ですくうことが出来ます。私が行った時も2組ぐらい並んでいました。入ってすぐ左手に祝福されたお水をもらえる所がありました。中に入って奥に進むと床に穴があいた所に砂がたくさんありました。備えつけのスコップを利用しジップロックに少しばかり砂を入れて持ち帰りました。
ミサ
教会の奥ではミサが行われていたので、遠目に見守りました。ミサが終了した後、下に降りていきその場所を見学していたのですが、当日司式を行った神父さんは韓国出身の方でした。神父さんは気さくな方でミサ終了後、参加者と写真を取ったり、信者さんの相談に乗っていたりしていました。
乾燥した山間の場所にそこだけは川が流れ、周りは花が咲き木々が青々と生い茂っていました。大昔にどうやってこの場所を見つけたんだろう、と考えたくなります。
私はクリスチャンではないですが、心が安らぐような不思議な感覚に陥りました。毎年30万人程度訪れるのもわかる気がします。
ホワイトロック渓谷
行き方
次に向かったのはWhite Rock Overlookという場所で、Googleによるとそこからホワイトロック渓谷と下に流れるリオ・グランデ川を見下ろせるとのこと。景色が良さそうなので、行ってみました。
El Santuario de Chimayo教会から同じ道をたどり、途中からNM-502というハイウェイを核利用の研究で有名なロス・アラモス方面に向かいます。最終的にはロス・アラモスに向かわず、NM-4に乗り換えてホワイトロック方面に向かうと目的地に行く道路は左手にあります。左手に入る前の交差点にはSpeedwayというガソリンスタンドがあるので、それが目印です。
White Rock Overlookからの風景
目的地には駐車場があり、遊歩道の入口にはOverlook Pointという看板があります。
遊歩道に入り500mも歩かないところにビューポイントはありました。この渓谷は縁から下にあるリオ・グランデ川まで平均1000フィート(約300m)の深さがあるそうです。
この渓谷北はオトウィ吊り橋、南はコチティ・ダムまで続いており、ロス・アラモス、モルタンダッド、ウォーター、アンチョ、フリホレス、カプリン渓谷など多くの小さな渓谷が従属するそうです。
まだ遊歩道の途中にも見晴らしがいい所があり、滝が流れている様子を捉えることが出来ました。
後で調べるとこの周りにも幾つかトレイルがあったり、さらに10数マイル奥に行くとバンデリア国定公園(Bandelier National Monument)と言ったアメリカ先住民族が住みつき、12世紀から16世紀にはプエブロ族の定住集落があった自然の遺跡を見学出来る場所があったとか。
次回はもっと予習してこの地域を訪問しようと思いました。
ラクダ岩
上の2つを見学してサンタフェ市内に戻る予定でしたが、帰り道にラクダ岩(Camel Rock)があるというので立ち寄りました。
US-84から市内に戻る際右手にあり、左手はカジノでした。ハイウェイからも姿を見ることは出来ます。降りると駐車場があり、以下の標識がありました。
内容を読むとラクダ岩に関係なく、西暦1200年ごろから存在するネイティブ・アメリカンの部族、テスーク・プエブロの話でした。テスークとは、「綿の木の狭い場所の村」を意味する伝統的なテワ族の言語名のスペイン語変化だそうです。
ラクダ岩へは数分の散歩です。岩はこんな感じでした。
撮影した場所が悪かったと思うのですが、ラクダというより映画のE.T.みたいでした。ただ絶妙にバランスを保った岩は、いい塩梅に風化されていると思います。いつまで崩れずこの体勢を保っていられるでしょうか?
まとめ
サントワリオ・デ・チマヨ教会、ホワイトロック渓谷、ラクダの岩は私の場合、午前10時過ぎに出て夕方前には市内に戻れているのでゆっくり見学しても3-4時間あれば十分です。
ただし下調べ不足でチマヨ織物を見学しなかったり、1000年以上前からプエブロ族が住み続けるアメリカ最古の集合住宅があるニューメキシコ州タオスに立ち寄らなかったり、プエ・クリフ住居跡(Puye Cliff Dwellings)やバンデリア国定公園(Bandelier National Monument)を計画にすら入れなかったりと、同じ方面なのに訪問しなかった所がたくさんありました。
遠出してサンタフェに来られることは十分に下準備して、効率よく観光地を回ることをお勧めします。
その4に続く。
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