各学期の最後に起こることが憂鬱

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米大学の卒業式

昨日の卒業式でもって秋学期が終了しました。学期前、学期中にいろいろなことがあって、春学期以上に忙しい学期でした。個人的には次にこんな学期があったら、身体的・精神的に持ちません。このような無茶ぶりは勘弁して頂きたい、と強く感じます。

学科長として参列

修行

卒業式ですが、立場的に今回もステージ上に座るという苦行にさらされました。今回はセリフなしだったのですが、何故か席は中央ど真ん中。学部長が話をするポディウムの真後ろで、常に視線やカメラの焦点が集まる場所でした。一番うしろの端っこ末席でいいのに、です。

私の場合やっぱり英語は第二言語で、聞く気がないとまったく耳から脳に入ってきません。今回は学長も出席したので彼の話もありましたが、最初の「おめでとう」以外何を話したか全く記憶にないです。いわんや来賓の話をや。その後ひたすら卒業生が名前を一人一人呼ばれては壇上を歩くのですが、これが結構長く、淡々と呼ばれる名前と目の前のモノトーンな光景が心の平安(=睡眠)に導きます。しかし今回も眠らず踏ん張りました。舟も漕いでないはず。自分を褒めてあげたいです。

ちなみにステージ上に座っていいことは2つぐらいでしょうか。1つは普通の教員席に用意されている椅子より多少良い椅子が用意されていること。椅子には背もたれ部分と座る部分のクッションが厚くなっていて、座り心地は普通のパイプ椅子と比べていいです。もう1つは椅子の横にペットボトルの水が用意されていること。本来は話をする人のために用意されているのでしょうが、壇上の席にはすべてに用意がされていました。私は今回セリフがないにも関わらず「眠気を覚ますために」グビグビ飲ませて頂きました。

アカデミックドレス(レガリア)

アメリカの卒業式ではガウン、正式にはレガリア(Regalia)を着ます。学生さんは生地の薄いガウンに角帽のような帽子を被るのが普通です。

フリー素材より拝借、実際こんな感じです。

それが教員になり服装にお金をかけられるようになると、新たに買いなおして厚手のごてごてしたガウンを着たり、もこもこの丸い帽子を被ったりします。

フリー素材より拝借、イメージ図

ペラペラ素材のものだとセットで100ドル台半ばで揃うのですが、厚手のカスタマイズされたものだと400ドル、500ドルを超えても驚きません。1年で多く来ても2回、別にどちらを着ようが着まいが誰からも文句は言われないのですが、ステージ上に座る方は厚手の方が非常に多いです。ただの見栄なんですけどね。

もちろん私は学生の時に使用したペラペラのものを未だに使い続けています。お金をかける以前に、そもそもアカデミックドレスというものが「似合わない」からです。自分が言うのも何ですが、来ている自分の写真を見ても笑ってしまうぐらい、合いません。何ででしょうね。

在米で同業の日本人の方からアドバイスで「じゃあ紋付袴を着よう」と言われています。日本人の正装ですから失礼ではないですし受けるかと思いますが、逆に式中に目立ちかねないことを心配している次第です。どうしよう?

問題点

日本にいるときから私は式に出席する意義をそれほど感じないのですが、アメリカの場合、それはすごいイベントです。両親、家族はおろか、遠くから親戚や友人が駆け付けます。ただ問題は今学期で卒業すると宣言した学期の成績が悪く、結果卒業できない生徒が少なからずいること。試験が終了し公に成績発表された後、式までは2~3日しかないのですが、この間に根拠のない成績上書きアピールや式で(卒業したとして)歩けるようごり押し嘆願があります。それを最初に誰が裁くか、というとうちの大学の場合(もしかしたら学部?)学科長です。日本じゃ普通ありえないと思いますが。

正当な理由をもって各教科担当教員が出した成績を自分がひっくり返すことはまず「ない」です。それでも一応すべての宿題やテストに目を通し、間違いがないことを確認し、学生、ひどいときには親にも説明してお引き取り願うことをしなくてはなりません。ほとんどの場合、相手は理屈ではなくただ感情的になっていますから(例:もう親戚を遠くから呼び飛行機のチケットを買った)、収拾するのは簡単ではありません。もちろん必要な時は学部長も引っ張り出して説得にあたりますが、残念ながらお互い譲れず後味が悪いことが常です。

これが2~3日の間にほぼ毎学期あることを想像してみて下さい。私がいかに卒業式を迎えるまでには疲れ切ってしまい、式中眠くなることが理解出来るかと。さらにあまり聞く気のない英語ならば、なおさらです。

以上、最後は個人的な愚痴になりました。あくまでも独り言なのでご容赦を。それでもここまで読んで下さりありがとうございます。

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